KEYS INTERVIEW 02|日本のゲストハウス誕生の経緯
-「株式会社 宿場JAPAN」渡邊 崇志さんに聞く、“伴走・共有型”の開業研修と、日本のゲストハウス誕生の経緯-
JR品川駅より徒歩12分の場所にある「ゲストハウス品川宿(しながわしゅく)」。その宿を運営する「株式会社 宿場JAPAN」代表取締役の渡邊 崇志 (わたなべ たかゆき)さんに、ゲストハウスに関連するキーパーソンと対談させていただく特集「KEYS INTERVIEW」の2人目として、お話を伺いました。
渡邊さんは、六本木にある大手外資系ホテルで修行後、2009年10月に「ゲストハウス品川宿」をオープン。2011年2月から「株式会社 宿場JAPAN」を設立し、開業希望者向けの研修「Dettiプログラム」の受け入れを開始。2014年12月には一棟貸しの宿「Bamba Hotel」をオープン。宿づくりではなく人づくりに尽力し、品川のまちづくりにもどっぷり関わりつつ、2018年10月にオープンした福島県の温泉付きゲストハウス「YUMORI ONSEN HOSTEL」の立ち上げに関わるなど、活動の幅を広げています。
今回は、開業希望者向けの研修「Dettiプログラム」の詳細や、研修を始めた理由、そこから派生して、日本のゲストハウス誕生の原点ともいえるお話も教えていただきました。
ゲストハウスの運営において、ベースにある思想とは?
_ライフステージを乗り越えつつ、旅人や地域から長く愛される場所に
最近は日本各地でゲストハウスの開業ラッシュですよね。2011年頃から国内でじわじわと増え始め、今では当時の3〜4倍にあたる約1200軒(2019年2月時点)存在するともいわれています。
ニュースでは週末や連休のオンシーズンだけが注目され、オリンピックに向けて宿の増加を促す報道も多いですが、オーナーは増えてもユーザーはまだ多くない。だからこそ、流行りに乗って空き物件を活用しようと無闇に箱だけつくるのではなく、つくるなら思いのこもったゲストハウスがつくられてほしい、そうすることでユーザーも増えてほしいと最近常々思っていまして…。
だりさん、いろいろ溜まってますね(笑)
その点、「株式会社 宿場JAPAN」さんでされている開業希望者向けの研修「Dettiプログラム」は、そもそも参加条件が厳しく、卒業後も丁寧に“伴走”されていて素敵ですよね。先日、卒業生である「神戸ゲストハウス萬家(MAYA)」のオーナー朴(パク)さんから、実際どんなふうに研修が行われているかの概要を伺い、その丁寧さと実直さにとても感動しました。それで今回、渡邊さんにインタビューをぜひと、お願いさせていただきました。
ありがとうございます。僕は10年前の2009年にゲストハウスを開業して、それ以来ゲストハウスの価値を高められるものは何か?ってずっと考えていたんです。結婚・子育て・親の老後とか、運営者自身さまざまなライフステージを乗り越えながら、ゲストハウスをどう営んでいくと良いだろうかって。自分でそれを模索して体現して、お客さんや地域にずっと喜んでもらえるようにしていきたい。それがまず僕のベースにある想いなんです。
だから、開業に関する相談のお問い合わせは多いのですが、本人にモチベーションがあるか?生活環境を含めて今すべきか?をともに見極め、2〜3年かけてようやく1人の開業者を出すような、 “重たい”関わり方を大切にしています。
ネットに記載した受講期間は「半年」ですが、人・金・物・ノウハウなど足らないものを補って、さらに周辺地域の方々からゲストハウスが信頼されて地域に根付いていくためにも、実際は少なくとも1年から1年半は一緒に活動するようにしています。
開業希望者向けの研修「Dettiプログラム」とは?
_徹底した“伴走・共有型”。みんなで良い環境をつくりたい
物件探しから地域の方々との関係性づくりまで、車や足で同行してめぐったり、地域のキーマンを探って一緒に挨拶に行き、時には出資したり。一歩引いたサポートでも一歩先に出たリードでもなく、チームの一員として徹底的に“伴走”されている印象を受けました。
そうですね。他には、品川宿で溜まった10年間分のノウハウを卒業生に全て共有していて。台風時の対応策など、過去の履歴に基づいたトラブルシューティングをマニュアルで全部閲覧できるようにしているんです。固定作業は効率化し、その分、みんながお客さんとのコミュニケーションにもっと時間を割ける環境をつくれたらいいなと思っています。
すごい、そんな共有までされているんですか。
たまに僕自身、視察も兼ねて、海外の宿に泊まるようにしていて。口コミを見てファンの多そうな個人運営の宿に泊まるのですが、根本的な思いや使うツールは、どの国もほとんど同じなんですよね。そして、課題も同じ。悩みを共有できる仲間が世界中にいるのだから、みんなでより良い環境をつくれたらいい。
「Dettiプログラム」をきっかけに、「神戸ゲストハウス萬家(MAYA)」や長野の須坂にある「ゲストハウス蔵(KURA)」みたいな素晴らしい仲間たちと関わり合えて、僕らとしてもめちゃくちゃハッピーですし。
「Dettiプログラム」を実施する理由は?
_伝説的な宿や先輩たちとの出会い。バトンをつなぐような恩返し
それにしても、どうして渡邊さんは開業支援をされるようになったんですか?
実は、僕が開業を思い立った2007年の頃は、東京にゲストハウスやホステルがほぼありませんでした。そんな時、創業1949年という地域密着型かつインバウンド向けの伝説的な宿「旅館 澤の屋」さんが東京の谷中にあると聞き、訪問したんです。そこからのご紹介で「台東旅館」さんで修行させていただきました。開業時は、東京都内の宿屋・観光案内所・空港などを50件近く訪れ、ビラを配って挨拶して。そうやってアナログで宣伝をしていました。
同業の関係者の数がまだ少なかったこともあり、出会う方々みんな、後輩を迎えるように親身に接してくれて。だから、自分がゲストハウスを運営する側になった時は、本気でやりたい人をちゃんと迎えようって決めていたんです。
バトンをつなぐような恩返しの在り方、素敵ですね。そして、伝説的な宿…「旅館 澤の屋」さん。口コミサイト「トリップアドバイザー」で人気の宿として連続受賞し、2009年には観光庁のビジット・ジャパン大使に任命され、2017年には総務省のふるさとづくり大賞で総務大臣賞を受賞し、書籍も出版されて…と、数々の実績を築かれる偉大な方ですね。
日本のゲストハウスが誕生した経緯は?
_先人たちの経営努力の結果。今“エレベーター”を意識する重要性
館主の澤 功(さわ いさお)さんや同世代のお仲間のお話によると、高度経済成長期(1952~72年)、都心に働きに来る人たちが多くなり、その人たちを受け入れようと木賃宿(きちんやど)という、現代の法律で「簡易宿泊所」にあたる安宿が増えていきました。
だけど、1970年の大阪万博(日本万国博覧会)が終わって経済が落ち着き、ビジネスホテルなど簡易でもプライバシーのある宿が好まれるようになり、簡易宿泊所や小さな旅館が軒並み経営不振で潰れていって。その状況を打開しようと、お知り合いの勧めから、澤さんなど当時の若い人たちが訪日旅行者の獲得に注力し始め、その結果、ゲストハウスの原点といえるインバウンド向けの小さな宿が日本で広まっていったそうなんです。
だから、近年のゲストハウスのように国籍を超えた交流やまちづくり的な着想とは異なり、「最初は経営に困って編み出した方法だったんだよ」と澤さんたちから教えていただいて、大変驚きました。
現在に通じる日本のゲストハウス誕生の経緯…、なんとも興味深いお話ですね。
全ての業界に共通する話かもしれませんが、開業ってエスカレーターみたいに、先に始めた人を後の人は追い越せない。知識や経験の厚みで敵わないところがある。だったら、同じエスカレーターに乗る方法を考えるんじゃなく、エスカレーターの一番上にいる人とつながる“エレベーター”に乗る方法を考えた方がいいんじゃないかって思うんです。
だから、先人たちの教えを尊びつつ、自分なりのアイデアを欠かさないようにしたい。これからも、東京都内なのに田舎のように人と人のつながりが濃いここ品川から、他の郊外に通じる成功モデルとなる僕らなりの“エレベーター”を築いていきたいと思います。
渡邊さん、貴重なお話を本当にありがとうございました!
KEYS INTERVIEW 02 収録:2018.08.24