これからのゲストハウスの可能性を探る対話|大阪のゲストハウス事業の先駆け「由苑」溝辺佳奈さん × 宿場JAPAN 渡邊崇志さん
書籍『ゲストハウスがまちを変える』一部を特別公開
2022年4月、書籍『ゲストハウスがまちを変える -エリアの価値を高めるローカルビジネス-』を学芸出版社より出版いたします。「ゲストハウス品川宿」を始めとする4軒の宿を直営し、日本各地で開業支援も行う株式会社宿場JAPAN代表・渡邊 崇志さんの10年以上にわたる経験に基づくノウハウを、全国200軒以上のゲストハウスを取材してきたFootPrints・前田の知見も織り交ぜつつまとめた一冊です。
書籍の覗き見として、6章「これからのゲストハウスの可能性を探る対話」の1節を当サイトで公開させていただくことになりました。現在、Amazonなどで先行予約を受付中。ゲストハウスの運営や多文化が共生するまちづくりに興味をお持ちで、書籍のご購入を検討中の方は、ぜひ下記の記事をご覧ください。
本章では、これからのゲストハウスの可能性を探るため、宿泊施設の運営者、建築家、プラットホームサイトの事業者など、多様な4人の方々にお話を伺っていきます。最初にご紹介するのは、日本でまだゲストハウスがほんのわずかだった2007年に大阪で誕生した「ゲストハウス由苑」を運営する株式会社由苑の共同代表の1人、溝辺 佳奈さんです。
溝辺さんは業界の先駆者として、ゲストハウス品川宿の開業前に大変お世話になりました。現在、大阪市内で2軒のゲストハウスと4軒の飲食店、1軒のレンタルスタジオを運営されています。アドレスホッパーならぬ宿主ホッパーのごとく、次々と事業を展開する溝辺さんに、ゲストハウスを長く運営するコツや、これからのゲストハウスの展望を伺いました。
Profile
溝辺 佳奈(みぞべ・かな)
1977年生まれ。大阪府出身。2007年、大阪市中央区の玉造で「ゲストハウス由苑」を共同で開業。2011年に株式会社由苑を設立。同年「ゲストハウス てん」(北区天満橋)を開業。2013年「ゲストハウス由苑」を福島区に移転。2016年「The Pax Hostel」(浪速区)を開業。2017年ホステル「The Blend Inn」(此花区)を開業し、現在はレンタルスタジオとして運営。
渡邊 崇志(わたなべ・たかゆき)
株式会社宿場JAPAN 代表取締役。1980年生まれ。明治大学商学部卒業。リッツカールトンなど複数のホテル勤務を経て、2009 年外国人旅行者向け宿泊施設「ゲストハウス品川宿」を開業。2011年株式会社宿場JAPANを創業し、地域融合型宿泊事業のビジネスモデルを構築。東京で一番小さいホテル「Banba Hotel」「Araiya」、アパルトマンタイプの民泊「kago#34」を運営。
自由に働ける環境を求めて起業
佳奈さんは濵本沙樹さんと共同で経営されていますよね。お2人がゲストハウスを開業するに至った背景から教えていただけますか?
昔から旅が好きで、大学時代からアジアの安宿を巡る旅をしていました。大学卒業後は富士通の営業職に就いたんですけど、子どもができても一生続けられる仕事ではなかったし、もっと自分で自由に働ける環境をつくりたいと思ったんです。そこで、同じ考えを持っていた同僚の沙樹と、当時まだ少なかったゲストハウスを2人でつくろうと決意しました。
それで会社を辞めて、2005年ごろから、私は新大阪のユースホステルで2年ほどヘルパーをしつつ、新今宮にあるバックパッカーに人気のビジネスホテルでも約3年間働きました。沙樹は大阪市の長居にあるユースホステルと京都の「ゲストハウス和楽庵」で約2年間働きました。2007年に由苑を開業してからも、1年ほどは自店のオーナー業と他店のスタッフ業を並行していました。
宿に併設して飲食店も経営されていますよね?
飲食店の経営はやりたくてというより、宿の運営に必要だったから始めたんです。たとえば、福島区に移転した由苑では、当初はビルの2階だけを借りるつもりでしたが、 1階に入居していた料亭が閉店したので、1階も借りて飲食店をすることにしました。
福島区は飲食店の入れ替わりが激しいエリアだから、たとえば1階に焼肉店が入ったら上階まで煙が上がってゲストハウスのゲストに迷惑がかかるかもしれないし、小料理屋が入ったら逆に宿の共有リビングでゲストが賑わう声で迷惑をかけるかもしれない。近隣トラブル防止もひとつの理由ですね。
1軒目をきっかけに縁が広がり、多店舗展開へ
僕が佳奈さんと出会ったのは2008年で、そのころから旅人に人気の宿として、とても繁盛していましたね。佳奈さんのまわりにはいいスタッフやゲストが揃っている印象が強いですが、当時から何か工夫されていますか?
最近は全国的にゲストハウスの軒数が増えたから難しくなってきたけど、当時はブログでスタッフを募集するといい人材が来てくれました。 心から旅が好きで、ゲストハウスの本質的な魅力もわかっていて、ある程度の社会人経験まである人がほとんどでした。ゲストに関しては、当時は検索エンジンで探す時代だったから、検索キーワードを意識してSEO対策に力を入れた宿が集客優位に立ちやすかった。なによりお客さんがお客さんを呼んでくれる感じでした。
ゲストハウスって、気の合うスタッフとゲストがSNSでつながったり、タイミングが合えば街の案内をしたりと、仕事とプライベートの線引きが曖昧になりやすい業態だけど、うちは業務上のルールはあっても、ゲストとの関わり方にルールは設けていません。その分大変なこともあるけど、スタッフ全員が自発的に動いてくれるのが重要なポイントだと思います。
大阪の建築設計事務所アートアンドクラフトさんが手掛けた「HOSTEL 64 Osaka」(2019年より「FON-SU bed & breakfast」として営業)の開業サポートもされていましたよね。2010年3月のオープン以来、あの一線を画したモダンな雰囲気から影響を受けた方も多かったはずです。翌年には、株式会社由苑として新たにゲストハウスを展開されていましたよね?
「HOSTEL 64 Osaka」の開業準備と同時期に、天満橋で「ゲストハウスてん」の開業準備を進めていました。東日本大震災が発生した 2011年3月に開業しましたが、その後に天満橋のエリア開発が進んで、立ち退きの話が持ち上がったんです。大家さんは「好きにしてもらって構わない」と言ってくれたんですが、背の高い超高級マンションが周囲に建つなか、古くて小さな建物でゲストハウスを続けるのは違和感があるなと思って。最終的にいい条件で立ち退かせてもらえることになったので、開業後丸2年の2013年3月に閉業しました。
そのころ、シェアハウスと飲食店として運営していた玉造の由苑を移転しようかなと考えていました。そんなタイミングで、物件の管理主だった建築家さんが「福島区にある築100年の町家の2階を活用する相談が来ているけど、どう?」と尋ねてくれました。住居にするには広すぎるし、床が畳なので商業施設のニーズは少なそうだし、ゲストハウスならどうだろうという相談でした。
当時、私は福島区に住んでいて、なんとその物件は、自宅の2軒隣にあって「ここをゲストハウスにしたらいいだろうな」とずっと気になっていた物件だったんです。内見させてもらって、和の趣があって内装も素敵だし、建物の検査済証もあるから旅館業法の営業許可も取得しやすいし、大阪駅から1駅隣の好立地でもあったので、「借りたいです!」とすぐに伝えました。大家さんはゲストハウスのことをまったく知らない人でしたが、話しているうちに理解を示してくれました。
天満橋の立ち退きの謝礼としてもらったお金はありましたが、そのころにはすでに「The Pax Hostel」と「The Blend Inn」をオープンする構想を描いていたので、福島区の由苑に関しては銀行に融資をお願いして、2013年12月にオープンしました。
社会の逆風を乗り越え、運営を継続するコツ
その数年後、日本のゲストハウスが数百から数千軒にまで急増して、佳奈さんと「このままじゃいけない」と話しあったこともありましたよね。激戦区大阪で、そうした変化をどう捉えていましたか?
想像を絶するスピードで、8年後には来るかなと思っていた未来が3年後にやってきた感覚でした。特別な資格や経験がなくても営業許可さえ取れたら開業できるゲストハウスは、参入障壁が低い業界なので、新規参入の波にとても弱い。そのなかでも差別化して生き残るしかない。
コロナ禍以前は、インバウンドのマーケットニーズがありそうだからと、資金力のある大手企業が副業として参入してきて、いい人材を確保して、サービスを安く提供して、今までのゲストハウス・カルチャーとは毛色の異なる宿が量産されていました。
オリンピックを見越して、2018年に民泊新法ができて、2019年に建築基準法が緩和されたときは、もどかしかったですね。私たちはこの10年間苦労して、そうした法律のハードルを乗り越えてきたから、脱力感がすごくありました。
でも、そこで気落ちしていても仕方がないから、「旅やゲストハウスが好きな人たちが楽しく過ごせる空間をつくり続ければ、きっと今まで通りファンが訪れてくれる。それが私たちの一番の得意分野だ」と信じてやってきました。今でもゲストハウスのマネージャーとは、そういう話をよくしています。
コロナ禍に見舞われた2020年以降は、もともとゲストハウスに思い入れの少なかった企業が次々と宿を閉めました。異常なほど飽和していたゲストハウス業界を、ある意味コロナが淘汰してくれたんです。だけど、その反面、経営が長期間圧迫されたことで、昔ながらの素敵なゲストハウスまで閉店してしまったから、複雑な気持ちではありますね。
また以前のように旅ができる世の中に戻ったら、今後のゲストハウス業界はどうなると思いますか?ご自身の宿はどうしていこうと考えていますか?
このまま続けていけるだろうかと常に迷いはあります。ワクチンの接種率が上がり、コロナ禍が下火になったとしても「設備や空間を共有する宿泊施設は避けよう」といった、コロナ禍で染み付いた自己防衛の感覚からゲストハウスは敬遠されてしまう可能性がある。だから今は、世の中の意識の変化を見守りながら、それに応じた策を常に考えるしかないですね。
また、長年運営を続けてきたなかで大事だと思っていることは、運営者が歳を重ねることで起きる、ゲストやスタッフとの年齢的なギャップに対する意識です。ゲストハウスの主な客層は20〜30代で、スタッフもその年齢が多い。世代が離れてくると、SNSの使い方や人との付きあい方をはじめ、いろいろな感覚が驚くほど違ってきます。だから、「ゲストハウスは昔からこうしてきたから」「自分が若いころはこうだったから」という自分の感覚は極力取り払い、若い世代の意見や視点にいかに寄り添うかが大事だと考えています。
あと最近、ADDressさんのように、新たな社会の仕組みをつくるプラットフォームの動きに注目しています。今後は、一方的に送客を行うOTAではなく、社会的なプラットフォームとゲストハウスがうまく協業していけたらいいですよね。他の業界に比べて、宿泊業界は横のつながりが濃い方だと思います。でも、宿の運営者は皆、現場や経営のことで頭がいっぱいだから、宿単体では社会的に意義のあるアクションを実行する余力を捻出するのが難しい。
そこで、現場をよくするチームと、社会をよくする仕組みをつくるチームが、得意分野を持ち寄って、一緒にゲストハウス業界を盛り上げていけたらいいなと思っています。
確かに、宿泊事業とプラットフォーム事業の双方の強みを活かした「チーム×チーム」のあり方が 業界を盛り上げる重要な鍵となりそうですね。コロナ禍で長年経営されてきたゲストハウスが多数閉店してしまったので、15年近く業界の変化を見てきた佳奈さんたちの存在は貴重です。これからも業界の大先輩として、僕らを導いてくださいね。
以上、書籍『ゲストハウスがまちを変える -エリアの価値を高めるローカルビジネス-』の6章「これからのゲストハウスの可能性を探る対話」の1節でした。本書には、この他に、街を一つの宿と見立てる 「HAGI STUDIO」 宮崎 晃吉さんと「NOTE 奈良」 大久保 泰佑さんとの対話や、多拠点生活プラットフォーム「ADDress」 佐別当 隆志さんとの対話などが収録されています。
コロナ禍や震災のような有事に迅速に対応するためには、普段から地域の中で関係性を築き、しなやかなまちづくりを行うことが必要だといった話題や、利用者同士の良好なコミュニティの構築を重視するADDressから学ぶゲストハウスの在り方などの話題があがっていました。
出版記念トークイベントの視聴はこちら
先日オンラインで開催された3本立ての出版記念トークイベントでは、宮崎さんと大久保さんが登壇されていました。「国内の事例に学ぶ、空き家と宿の関係」や「withコロナのゲストハウス これからどうまちと関わっていくのか」など、さまざまなテーマで書籍の内容を深めてくださいました。当日の様子は、下記のYouTubeからご覧いただけます(私はトークイベントの3本目で、もにょもにょ喋っています)
近々、佐別当さんをゲストにお招きしたオフラインのトークイベントも計画中です。詳細は宿場JAPANのFacebookにて告知されます。楽しみにしていてくださいね。